高高がいな人 – 川崎真希(旧姓 : 内海)

高松高校 内海真希 川崎真希
高松高校 内海真希 川崎真希

川崎 真希

株式会社e-LIFEWORK代表

ある時は気象予報士、ある時はチャンネルの登録者数が3000人を超えるYouTube「マッキー英語」のユーチューバー、ある時は延べ1000人以上の日本人・外国人に英語を教える英語講師── しかしてその実体は、自分に厳しい課題を課す3児(11歳、9歳、4歳)の母、川崎(旧姓:内海)真希氏だ。多彩な顔を持つ氏は現在、英語学習の目標を達成に導く英語コーチとして、活躍する。


── 幅広い仕事に就いていますが、本業について教えてください。

主軸は英語コーチです。クライアントの目標とする英語力を確実に、効率的に身につけられるよう学習プランを組み、支援するのが仕事です。ユーチューブはもともと、生徒のみなさんの自主学習の助けになればと始めたものです。多くの人がつまずきやすいポイントを解説し、動画にしてアップロードしていました。今はその動画を見て、私の教え方や考え方に共感した人が、クライアントになることも少なくありません。

実は、今の仕事に就くことは、子どもの頃は全く想像していませんでした。母親が地元の三本松で「内海塾」という小さな塾を経営している様子を見ていて、自分には「教える仕事は向いていない」と思っていたくらいです。高校1年生の時の文集では、「将来〇〇になりそうな人」ランキングで私が先生になりそうな人で1位になり、「それはない」と言っていました。でも結局、皆の予想は当たっていましたね。

── 勉強は得意だったのですか?

小学生の時は全然できませんでした。勉強の面白さに気がついたのは、中学の時です。父親が当時経営していた会社がうまくいかなくなり、気づいたときには借金が数千万に膨れ上がっていました。生活するのも大変で、中学1年生の時には「高校への進学は無理かもしれない、義務教育が終わると働かないといけない」と思ったのです。今しか勉強できないと思うと、急に勉強が楽しくなりました。
そして中学2年生の時に、母親が中学の教師だった経験を生かして塾を開くこととなり、私もその塾で勉強に励みました。

── その後高高に入学するわけですが、東京大学を目指すことになった理由は。

現役の時は京都大学を志望していました。校舎が素敵という理由であまり深く考えずに受験した結果、不合格でした。
東大を目指すことになったのは、補習科に入ってからです。英語担任の本澤大弘先生に「京大は天才タイプが多い。お前は秀才タイプだから、東大なら受かる。だからお前は東大を目指せ」と言われました。それで、初めて進路を東大に変えたのです。

浪人時代はとにかく勉強しましたが、東大模試はE判定ばかり。本番のセンター試験の自己採点でも、軒並みE判定。足切りすれすれで、たぶん無理だろうという雰囲気でした。ですがここまで頑張ってきたからにはやるしかない。センター試験から二次試験までは誰よりも勉強したと思います。

── そして無事合格したと。

本番に強いのかな(笑)。いや弱いか。

── 謙遜を。この時点でも先生という職業は頭に浮かんでなかったのですか。

かすめてもいなかったです。そもそも英語の偏差値は真ん中ぐらいで得意ではなかったし。

── では大学時代に話を進めましょう。在学中に気象予報士の資格を取得しましたよね。どういった背景で資格を取ろうと。

気象予報士の資格を取得した理由は2つあります。1つは文系で入学したのですが、入学後は文系科目よりも、航空宇宙工学や気象学などの理系科目に面白さを感じるようになり、理系科目の学びを深めたかったからです。

もう1つは、東京は雨が多く洗濯物が干しづらかったため、自分で天気が分かるようになりたいと思ったからです。合格率が4%という難しい試験で、途中で嫌になった時もありましたが、ここまでの努力を無駄にしてはいけないと思って、勉強を初めてから1年半ぐらいで合格しました。

── 資格を生かして、アルバイトでキャスターの仕事もしていました。

1年半の間、BSデジタルの朝の情報番組でアルバイトとしてキャスターを担当しました。3時間の番組の中で、30分おきに天気予報を読む仕事です。大学に通いながら、週に1、2回の当番制で出演しました。

── ユーチューブを見ていると、真希さんの声はとても聞きやすい。この時の発声が生きているのですね。

ありがとうございます! 大学卒業後は大学院に進学し、環境学を学びました。学部で学んだ社会学や気象学の知識を生かせるような研究に取り組みました。
卒業後は、ソニーに入社。キャスターのアルバイト経験があるからという理由で放送局担当の法人営業となり、7年間、テレビ局にモニターや中継車、スタジオ設備などを提案するソリューション営業に従事していました。

そして結婚後、妊娠したのを機に、産休・育休を取得します。しかし復帰の際に保育園が決まらず、さらには夫がイギリス留学中で私は東京、と勤務地が離れていたこともあり、一旦キャリアを諦めて退職することを決意しました。

── 退職後、夫の下に向かったと。

育休中も渡英し夫と暮らしていましたが、退職して正式にイギリスに引っ越しました。そこで、本格的に英語習得に向けて取り組むこととなります。引っ越ししてすぐは退職を後悔したり、落ち込んだりしてしまったのですが、心境をプラスに転化するために、ここでしかできないことをしようと考えました。そして、ケンブリッジ大学ESOL認定国際英語教師(CELTA)の資格取得に向け、勉強を始めたのです。

それまでは常に英語に対して苦手意識があり、社会人2年目で受けたTOEICは490点でした。社内でのキャリアを考えると英語は必須だったので、20代の頃は英会話レッスンや英語カフェなど、時間もお金もかけて手当たり次第に取り組みましたが、全く力がつきませんでした。

CELTAは、ケンブリッジ大学英語検定機構が認定している、英語を母国語としない人に英語を教えるための英語教授法資格です。英語ネーティブ、もしくはネーティブ並のライティング力とスピーキング力がなければ、資格取得のためのコースを受講することすらできません。

── かなりハードルが高いですね。

コース受講の学校に入るため、猛勉強の日々が続きました。夫の仕事の都合で日本への帰国予定日まで1年を切っていたことや、途中で第2子の妊娠が判明したこともあり、体調がつらくなる前に勉強しておかなければと、かなり集中して励みましたね。

そして本番。複数校を受験した結果、1校だけが受け入れを表明してくれたのです。ただし、スピーキング力が心配なので、最終的に実習のテストに通らず受講料が無駄になるかもしれないがそれでも良いかと、入学前に念を押されました。
普通の会話に問題はないけれど、世界中から集まる各国特有のアクセントを持つ学生たちの英語の間違いを確実に指摘し、明確に説明できるか、また長時間の授業をオールイングリッシュで教えられるのか――と心配されたのです。「文法知識や、ライティングの試験結果はすごく良いので可能性は感じるが、日本人には厳しいのではないか」とも言われました。でも、やるしかない。

── 大学受験の時もそうでしたが、普通の人ではとても無理と考えるような相当高い目標を課している印象を受けます。

どれも綱渡りで目標を達成している感じです。自信満々の心境ではなく、できると信じて突っ走るしかないと思って挑戦してきました。

コースは3カ月間でしたが、今となってはほとんど記憶が無いほど、精神的に追い詰められました。実習後に何度も厳しい指摘を受け、とてもつらかったです。第2子を妊娠中で、また当時1歳の第1子の子育てもあり、課題に取り組むのは大変で。
クラスメイトには「ネーティブの自分たちでも大変なのに、こんな挑戦をするなんてクレイジーだ」と言われたのを覚えています。最後は、帰国間際で無事、資格を取得できました。

日本に帰ってからは夫が東京勤務になったので、私は香川で第2子を里帰り出産しました。その後、夫が徳島に転勤となり、家族一緒に徳島での生活をスタートさせます。第2子が1歳になる頃にそろそろ仕事がしたいと思い、英会話スクールに英語講師として勤務し始めました。他にも大学受験予備校で非常勤講師をしたり、実家の塾で高校生向けの英文法特訓クラスを担当したりして、2年半がたちました。

そうしているうちに夫の転勤で、家族で沖縄に転居します。徳島でのスクール勤務時に、子どもの病気で休むことを伝えると同僚や上司に嫌な顔をされるのが苦痛だったので、沖縄では自分の教室を開こうと決心しました。その方が自分のペースで仕事ができるし、自分の信念に沿った指導ができると考えたからです。そして3年近く、自分の教室を運営しました。

新しいことにも挑戦したくて、教室運営と並行してユーチューブを始めました。また、教室の指導の中にコーチングを取り入れました。以前から、英会話スクールで教えても家で復習する人は少ないし、1週間に1回の授業だけで英語は身に付かないというもどかしさを感じていました。より確実に英語力を伸ばして、英語ができるようになったと実感してもらいたいと考え、毎日勉強してもらうようなマインドセットや、カリキュラムを取り入れたのです。

自ら「不真面目」と謙遜するが、クライアントと向き合う時は全力で。

── コーチングを始めて何年ですか。

4年くらいです。コーチングの際は、定期的なセッションに加え、チャットなどで学習進捗を毎日確認。そして英作文も提出させています。質問を受け、直接説明したほうが良い場合は適宜オンラインでつなげて、解説したりもします。この仕事がとても楽しく、今のところ天職だと感じています。でもいずれまた何か思い立って、新しいことを始めるかもしれません。

── 話を聞いていると、私自身も何かできるような気持ちになってきます。努力は裏切らないということを、真希さんの人生で体現されていますね。つらいと思うことはないのですか。

それほどありません。それぞれのクライアントに全力で向き合う必要があるので、1度に指導するクライアントの数は自分なりの制限を設けて、自分が疲弊してしまわないようバランスを取っています。

ただ人からはよく頑張り屋さんとみられるのですが、実はしんどいのは嫌なスタンスです。1日のうちで、ごろごろして休憩する時間ももちろんあります。油断すればオンラインゲームをやっているし、漫画を読んでいるし、韓流ドラマを見ているし・・・。
長期的に見れば、全力疾走する時期とほふく前進する時期とがあり、メリハリがあるのだと思います。目標を決めれば全力疾走して、達成したらまた歩調を緩め、時には立ち止まる。子育ても終始そんな感じです。不真面目だから、恥ずかしいくらい(笑)。

── 最後に、英語コーチのやりがいを教えてください。

クライアントの努力が実り、「○○ができるようになった」「合格した」など、成果を報告してくれることが一番嬉しいです。何より、本人が成果に達成感と喜びを抱き、そしてその気持ちを共有できた瞬間に、やりがいを感じます。

(2022年7月31日作成)
(2023年6月16日公開)