高高がいな人 – 黒田卓志

高松高校 黒田卓志
高松高校 黒田卓志

黒田 卓志

Jリーグフットボール本部長

Jリーグ大宮アルディージャのフロントに入り、クラブチームでのフロント業務をおよそ10年間経験した後、Jリーグの競技運営部、経営企画部を経て、現在はJリーグフットボール本部の責任者を務めている黒田卓志氏。

小学校から始めたサッカーに関わりながら、Jリーグの理念の1つである「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」の実現に向けて、スポーツの可能性を広げる仕事にまい進する。


── Jリーグのフットボール本部とはどのような部署なのでしょうか。

特殊な組織なのでイメージしづらいかもしれませんが、Jリーグ組織は本部制で、5つの本部から成っています。クラブの経営サポートに関する業務を取り仕切るクラブ経営本部や経営企画・総務・人事・経理を行う組織開発本部、スポンサー・放映権契約を担う事業本部、プロモーション等を行うマーケティング本部があります。

私がいるフットボール本部は、全国各地で行われるJリーグの試合をスムーズに進めるための競技運営や新型コロナウイルス対策、選手育成の統括に携わる部署です。

── 競技運営とは具体的にどのようなことをするのですか。

リーグの競技運営は年間の試合日程や対戦カードを決めたり、試合ごとのユニフォームの色を決めたりと、全クラブが一定レベルの試合運営ができるようガイドラインを作成するなどしています。各クラブではスタッフの弁当を用意するところから、関係者の駐車場の手配、選手のユニフォーム調達までやります。
選手だけでなく、審判がシャワーを浴びた後に使うタオルや食事の準備もクラブスタッフの仕事です。試合にはボランティアの協力が不可欠ですが、彼らのシフト表作成や当日の仕事内容の説明など、細かいところまで気を配ります

── 競技運営という形でサッカーに関わるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

筑波大学時代に、各大学の学生が集まり、自分たちで大学リーグを運営する大学サッカー連盟に入ったのがきっかけです。

── 大学時代、選手としてプレーする選択肢も当然あったと思いますが。

筑波大学蹴球部に在籍していましたが、そもそもの入部理由は、サッカー選手になりたいからではなく、スポーツトレーナーになりたかったからなんです。そうは言っても小学校からサッカーを続けていたので、当然選手として4年間頑張ろうと思っていました。

ですが、いざ入部してみると「とんでもないところに来てしまった」と感じました。私は中学、高校とゴールキーパーのポジションでしたが、サッカーダイジェストという雑誌で目にしていた、同い年の高校日本代表ゴールキーパーがいたのです。入部初日に、選手として4年間過ごすことを諦めました。そこからは、オフザピッチの自分の立ち位置を探そうと切り替え、大学サッカー連盟に入ることにしたのです。

── その後、大宮アルディージャでも同じように競技運営を行なっていたのですか。

競技運営を希望して2001年に入社しましたが、実際に携われるようになったのは5年ほどしてからですね。最初の2年間は、選手育成の一環としてジュニアユースの立ち上げ、同時にサッカースクールの普及も行いました。そこからの3年間は、スポンサー営業やチケット販売に関する業務、ファンクラブの運営などを行いました。

── 振り返ってみて、その5年間の経験は今に生きていますか。

自分の希望していた仕事ではありませんでしたが、大宮アルディージャでの最初の2年間の強化・育成・普及の経験がなければ、現在のJリーグのフットボール本部長の仕事は間違いなくできていないと思います。また、当時の上司である元サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)監督の佐々木則夫さんから、サッカーの素晴らしさやサッカーに向き合う心、そういったものを学べた2年間でもありました。

その後の3年間も含め、そこでの経験が、クラブはもちろんJリーグでのフットボール業務にも間違いなく生きています。何でもやってみるのは大事だと実感しています。

大宮アルディージャのホームスタジアム。
ここでの経験が社会人生活の原点となった。

クラブチームからJリーグへ

── そして、いよいよJリーグの競技運営部に移られるわけですよね。

そうです。2010年から14年まで、Jリーグの競技運営に携わりました。最初に行ったのは、運営に関するガイドライン作りです。当時はそのようなものがなかったので、試合の運営は各クラブの運営担当に委ねられていました。ですが、チームごとに環境やスタッフの人数、経営規模が異なりますから、試合の品質を一定に保つためにはガイドライン作りが急務でした。各クラブの運営担当から意見を集め、時には合宿を開いたりしてまとめました。

── やはりJリーグでの競技運営となると規模も違うと思いますが。

当時の大宮アルディージャのリーグ戦1試合当たりの支出とJリーグが主管する試合(例えばルヴァンカップ決勝)の運営費用は、Jリーグのそれが一桁多くなるほど規模が違いました。そういう緊張感と向き合いながらやっていましたね。

── 競技運営の醍醐味は何でしょうか。

もちろん私たちは裏方ですが、私たちが一生懸命サポートをしたら、選手がすばらしいパフォーマンスを発揮してくれる。それが醍醐味ですね。実は大学時代から、それにすっかりはまってしまいました。
筑波大学蹴球部は名門でしたし、私は在籍中に2度のリーグ優勝を経験しています。それ自体はもちろんですが、自分が陰で支えたということも、同じように誇らしく思えます。試合は選手と私たちのような裏方がそろって、初めて成立するのです。

── 2014年、Jリーグのチェアマンに村井満氏が就任しました。

ちょうどそのタイミングは、私自身Jリーグに来て競技運営の仕事を一通り経験した頃で、村井チェアマンからJリーグ全体の運営・経営に携われと言われました。それで、経営企画部に異動しましたが、経営企画の「け」の字も知らないので、相当もがき苦しみましたね。一番ミスした時期でもあるし、もしかするとミスの数と規模で言えば、Jリーグレコードかもしれません。

── ミスという言葉にポジティブなニュアンスが含まれているように聞こえます。

村井チェアマンがミスを許容してくれる経営者だったことが大きいですね。ミスよりもチャレンジしていることを評価してくれました。村井チェアマンもサッカー経験者で、手を使えないサッカーはそもそもミスをするスポーツだから、現場もフロントも、ミスを恐れずチャレンジすればいいと。

去年と同じやり方で成功しても加点はゼロ、去年と違うやり方でチャレンジすれば、たとえ失敗に終わったとしても加点を50点、成功した場合は100点をあげよう──。村井さんがそういう物差しを示してくれたからこそ、やって来られたと思います。

── その後、フットボール本部長に就任されたのはいつですか。

就任したのは2017年、38歳のときですね。

スポーツの可能性を信じて進む

── 小学生の頃にサッカーを始めて、それ以降、形を変えながらもサッカーに関わり続けています。サッカーに対する特別な思いがあるように感じられます。

やはり、サッカーが自分を育ててくれたという思いがあります。単純にサッカーが好きというのもありますし、サッカーを通して仲間が増えたということも大きいでしょうね。ただ、サッカーという枠にとらわれず、スポーツそのものの可能性を誰よりも信じていると思います。

── 本部長を務めて6年目になりますが、自分のキャリアに関して、将来的なビジョンは持っていますか。

よく聞かれるのですが、実は全くありません。これまでのキャリアを振り返ると、スポーツの可能性にかけているという芯の部分は変わっていません。どこにいても、スポーツの可能性を信じて一生懸命やっていれば、自然と道が開けていくような感覚でしょうか。

キャリア自体、人生の中で何度も考えるものではないだろうと思っています。立ち止まって考えるべきタイミングは、人生でせいぜい3、4回といったところでしょう。そういう時期が来れば真剣に向き合いますが、少なくとも今はそういう時期ではありません。

── ちなみに、面白くない仕事、やりたくない仕事はありますか。

ないですね。誰のためにやるのか、何のためにやるのかを自分の中で整理することはありますが、整理が終わればやるだけです。難しい仕事も、乗り越えれば成長できると思えるので、とにかくやろうと。自分がやることに何かしらの意味があるのだと思っています。

── これまでの経験を振り返り、自身の強みはどのような点だと思いますか。

経営企画部の時に、経営人材を育てるスクールで自分の強みを診断するツール「ストレングスファインダー」を試したことがあります。質問に答えていくと自分の強みが診断結果として表示されるのですが、1番目がポジティブで、2番目が学習欲でした。初めて自分を客観視できました。

将来に対する不安、例えば食っていけるか、稼いでいけるかというような、そういう不安は一度も考えたことがありません。他と比較するのではなく、自分がどうしたいかが重要でした。何より、頑張る選手に尽くしたい、頑張る選手を支えたい。その思いが原動力になっています。

── 最後に、この仕事のやりがいについて教えてください。

Jリーグの理念のひとつに「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」というのがあり、私はこれが大好きです。

文化というものは、多くの人々が長い期間「いいねボタン」を押し続けた結果できるものだと思います。文化を作るというのは、一朝一夕にできるものではありませんし、終わりがないものでもあります。そこにスポーツの力でどうチャレンジしていくのか。それがやりがいでもあり、この仕事の素晴らしいところかなと思います。

地元香川のチームもJリーグに参戦中。
スポーツ文化は地方にも着実に根付きつつある。

(2022年7月31日作成)
(2023年6月16日公開)