宮本 拡嗣 宮本 絵美子
宮本 拡嗣
宮本 絵美子
有限責任監査法人トーマツ
公認会計士
高松高校平成9年(1997年)卒の宮本拡嗣氏と宮本(旧姓、亀川)絵美子氏。
高校時代はほとんど接点がなかった2人だが、社会人になってから、有限責任監査法人「トーマツ」に入社。東京事務所でのまさかの再会を経て、2人の仲は急速に深まり結婚することに。
今は実家の田んぼを手伝うため、香川県へUターンで移住して、トーマツの高松事務所で働く日々だ。
── 2人とも同じ会社で公認会計士の資格を持っていると聞きました。まずは宮本くんから経歴について教えてください。
:監査法人のトーマツで働いています。大学卒業後、資格の勉強をして、2005年12月に入社。19年10月まで東京事務所で働き、そこから高松事務所に移ってきました。
── 高松に帰るきっかけは何だったのですか。
実は公認会計士を目指したのもそれが念頭にありました。資格があれば、好きなタイミングでUターンできると。そこで高松に事務所があるトーマツを志しました。
── 大学卒業後に高松で就職という選択肢はなかったのですか。
なかったですね。それは仕事の性質的に東京の方が色々と経験できるからです。戻るとしても一通り経験してからという意識が強かった。
今から約10年前に父親が体調を崩したのがきっかけで、高松への移住を本気で考えるようになりました。
── では続いて亀川さん。どういう経緯で公認会計士になったのですか。
妻:私は大学卒業後にルイ・ヴィトンに就職して路面店で店員をしていましたが、2005年に退社しました。夫がトーマツに入社した年ですね。色々な店舗を経験しましたが、基本は同じような仕事ばかりで。あまり販売を突き詰められるタイプではなかったのでしょうね。
退社してからは「専門実践教育訓練給付金」制度を使い、民間教育機関で3カ月間簿記を勉強して簿記2級の資格を取得しました。そのままどこかに就職してもよかったのですが、もっと勉強したいという気持ちが芽生え、どうせならば公認会計士の資格を目指してみようかなと思ったのか会計士を目指したきっかけです。
07年に1次試験に受かってトーマツに入社。2次試験は2回目で合格して、晴れて資格取得者となりました。
── 同じ会社に入ることになった2人ですが、もともと高校時代から仲良しだったのですか。
妻:たぶん同じフロアになったときだよね。
:そう。うちの先輩が「亀川さんと飲みに行きたい」って言うから、「声かけますわ」と勇気振り絞ったわけです。そこから仲良くなって、なんとなく付き合って結婚することになりました。
── 今も高松事務所で2人そろって働いているようですね。
妻:高松事務所は40人ぐらいの規模です。組織としては試験的に夫婦で監査法人の高松事務所に受け入れてくれました。社内結婚は多いですが、地方の事務所で夫婦とも公認会計士として働いているケースは珍しいですね。子どもが5歳と2歳で小さいので、高松事務所では残業や出張はしないという育児中に利用できるプログラムを利用して働いています。
島が見えて毎朝穏やかな気持ちに
── もともと帰る気満々だった宮本くんですが、亀川さんは帰る気はあったのですか。
妻:独り身だったり結婚相手が違ったりしていたら戻っていないかも。ただ帰らないと決めていたわけでもなく、子どもができたときに帰ってもいいかなと考え始めました。私は祖父母の近くで育ったので、子供にも同じ環境を与えてあげたいという気持ちと、東京で頑張って働いたという実感もあったので、「都会はもう満足したかな」という気持ちもありました。
── 帰省してから、東京と比べて仕事面での変化はありますか。
妻:私も同感です。仕事を選択できない環境になったというか。東京時代は、「この会社の監査がしたい」とか、「他の仕事をしたい」と主張すれば担当の変更ができました。高松だと、大学や電力会社、インフラ系のJR、銀行など会計監査が必要な会社自体が少ない。監査上はルーチンワークが多いですね。
── 私生活の面ではどうですか。
妻:公園は広いし、人口密度は違うし。子育て環境は香川県が断然いいと思います。休みの日は主人と一緒に田んぼに行きます。私も田植えを手伝いたいのですが、子どもが小さいので、田んぼのそばで見ていることが多いですね。
あとは、子どもが祖母や祖父と日々接することができることもありがたいです。
「俺が農業を継ぐ」という安心感を与えたい
── 今は農業にどの程度携わっているのですか。
父親は金もうけで農業をしているわけではなく、彼は生物学者だから無農薬でどうすればおいしい米が育つか、今も研究生活を続けている感じです。僕はそのスタンスをどこまで引き継げるかは分かりませんが、尊重したいと思っています。
── 全国的にも水不足で有名な香川県。素人感覚ですが、米を育てるのは難しい気がします。
いずれは周囲の農家を巻き込んで、センサーを付けるなどして水量を自動で制御できるようにしたいですね。そうなれば、少しは苦労も減るかもしれません。
── 父親からの田んぼをどういう風に受け継いでいくのか、何か構想はありますか。
ただ農業法人を立ち上げるにも、もうかるビジネスモデルを考えなければなりません。どうしようかなと思っている間に、2年がたちました。やるなら、いかにしてブランディングするかが課題だと思っています。
もちろん可能性は感じています。うちの米はおいしいからです。育てるのが難しいという理由で、農協が取り扱いをやめた品種「ミルキークイーン」を引き続きつくっています。量を作っていないので、知人に安く売っている程度ですが。日本人の口にとても合うと思います。冷えてもおいしい。
父親がつくった低農薬の米を楽天とかで、農協での販売価格の2倍で売れれば面白いと思っています。父親はそういうのに興味がないので。以前そのモデルを話したときは、「俺はそこまでしたくない」と言っていました。
── 今は公認会計士の仕事の合間に田植えを手伝っている感じですが、今後そのウエートを上げる可能性はありますか。
:今の会社に居る限りは無理でしょうね。ただ農業に完全に移行したいという気持ちは今のところありません。自分の父が亡くなるときに、祖先が代々守ってきた田んぼを受け継いで「俺が農業を継いでいる」という安心感を、父に与えたいという気持ちはあります。
(2022年7月30日作成)
(2023年6月16日公開)